結婚における霊的戦い -良い結婚を勝ち取るために-   タイトル・ページへ

Byビル・ストーンブレーカー

 

第三章

敵による予期せぬ道具[1]

 

蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べ過ぎて吐き出すことがないように。(箴言2516節)

 

結婚における祝福にもなりえるし、別の時には気づかぬうちに敵の道具となり、予測できないような方法であなたの関係を崩壊させることもありえる、そんな“もの” があります。それは一体何でしょうか?

 

答えは  あなたの子供や、義理の家族、そして友達です。

 

「良いものを取りすぎる。[2]」という表現を聞いたことがあるかも知れません。箴言2516節はそれについて描写しています。私たちは甘いものが好きですが、甘いものを食べ過ぎると気分が悪くなります。人生に喜びや楽しみ、そして甘みをもたらしてくれるものを、敵は巧妙に利用します。理想的なのは、私たちが家族や友人たちとともに「いつまでも幸せに」暮らすことなのですが、時にはそういった良いものが緊張に満ちた争いを生み出すことがあるのです。

 

 

子供をめぐる分裂

 

詩篇の1273節にはこう書いてあります。「見よ、子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」神様が賜物として用意されたものが、どうやったら結婚における試練へと変化してしまうのでしょうか?子供は明らかに結婚生活を緊迫させる作用をもたらします。そして悪魔はそれを用いることで家庭を不和に陥れようとするのです。あなたが病院から連れて帰ってきた無邪気な乳児は、やがて“ひどい二歳児”になり、そしてあっという間に“恐るべき10代”の子供へと成長を遂げます。その間ずっと、そして大人になった後も、これら主の賜物が、賜物というよりは奈落の底から現れた野獣に見える時がしばしば起こります。あなたの人生における喜びであるはずの子供が、結婚における試練に変化してしまうのはどうしてでしょうか?子供がストレスの原因にならないように、何らかの予防薬を前もって摂取することは出来るでしょうか?

 

 

イサクとリベカ:完璧に見えた恋愛

 

愛とロマンスについての美しいお話が創世記24章にはあります。イサクとリベカの物語は、聖なる導きと魅惑に満ちたお話しです[3]。アブラハムは、息子イサクの妻をその時住んでいたカナンの女性の中から選ぶことを良しとせず、しもべを故郷のメソポタミアに送ってそこで妻を選ぼうとしたのでした。しもべはナホルの町の外の井戸にたどり着いたあと、こう祈りました。

 

「私の主人アブラハムの神、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧下さい。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。私が娘に「どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。」と言い、その娘が「お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。」と言ったらなら、その娘こそ、あなたのしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることが出来ますように。」 創世記2412-14

 

しもべが祈ったそのとおりのことが起こりました。羊飼いのリベカが井戸に現れ、しもべは彼女に水を求めました。彼女はこう答えました。「どうぞお飲みください。だんなさま。」「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう。」(18-19節) アブラハムのしもべは、あまりも簡単にそれが起こったので、他にも確証[4]を求めた方がよいと考えましたが、やがて主が彼の祈りに答えてくださったのだということを確信するようになりました。しもべが彼の使命をリベカに明かしたあと、二人はリベカの両親に会いに行きました。しもべはリベカの家族に対して再び彼の使命を説明し、家族はリベカにどうするか選択する自由を与えました[5]。リベカはそれが、彼女に対する神様の御心なのだと信じ、将来の夫に会うための長い旅に出ることを決意したのでした。

 

彼らがアブラハムの住居に近づいた時、リベカは目を上げ、遠くの野原を歩いている一人の男性を見つけました(イサクは瞑想のために野に出ていたのです[6])。彼女はしもべにこう尋ねました。「野を歩いてこちらのほうに私たちを迎えに来るあの人はだれですか?」しもべはこう答えました。「あの方が私の主人の息子で、あなたが結婚することになるイサクです。」それを聞いたリベカはベールで慎み深く身を覆い、馬から降りてイサクのほうへと向かっていったのでした。

 

その場面を想像してみて下さい。お花畑の中で二人が互いに向かってスローモーションで駆け寄っていき、抱きしめあい、キスを交わし、その後いつまでも幸せに暮らす そんな歯磨き粉のコマーシャルに出てくるような光景です。けれども実際のところは、このお話しはそういう終わり方で完結したわけではありませんでした。確かにそれは、愛と、ロマンスと、聖なる導きによって始まりました。野原での出会いのあと、イサクはリベカと結婚し、リベカを愛しました。けれどもそのあとで、子育てが二人のシンデレラのような美しい物語の間に割り込むようになってしまったのです。

 

 

ロマンスから子育て[7]

 

二人の間に双子が生まれて全てを劇的に変えてしまうまでは、イサクとリベカの愛と結婚のお話は究極の恋愛小説のようでした。エサウとヤコブは、双子であると同時に生まれながらのライバルでした。エサウは頑丈な子供でした。彼は猟師で、アウトドアを好み、荒々しく毛深くて、強い体臭をもっていました。彼の男らしさのゆえに、彼はイサクのお気に入りでした。弟のヤコブはエサウとはかなり異なっていました。ヤコブはデリケートで従順なタイプでした。料理をしたり、テントの中で母親と一緒にいたりすることをヤコブは好みました。そんな彼をリベカは気に入っていました。彼らが成長し、性格の違いが明らかになるにしたがって、家の中は多少分裂するようになりました。穏やかな性格を持つほうの息子が母親と料理をしている間、荒々しい方のもう一人の息子は外で父親のために狩りをするような生活を送っていたのです。

 

やがて摩擦が二人の息子の間に起こるようになりました。子供の性別や年齢に関わらず、これはどの家庭にも起こることで、“兄弟姉妹間のライバル関係[8]” と呼ばれています。親はそれぞれのお気に入りの子供の側に立つようになります。イサクとリベカの場合、エサウはイサクのお気に入りで、ヤコブがリベカのお気に入りだったのです。

 

ある日、ヤコブが煮物を煮ているときに、エサウが飢え疲れて野から帰ってきました(創世記2529節)。少しの交渉のあと、エサウは自分の長子の権利を、ヤコブの一杯のシチューと交換してしまいました(長子の権利は、最初に生まれたエサウに属していました。彼は神様からの祝福の伝統を受け継ぐ特権を持っていたのです。)。後になってエサウはヘテ人の女性と関係を持つようになり、この女性達が“イサクとリベカにとって悩みの種になった(創世記2635節)”と聖書にはあります。

 

エサウの気質の中に流れるものが見え始めたでしょうか。まずエサウは、長子の権利を軽々しく扱うことによって、神様について無関心であることを示しました(創世記252034節)。次に彼は異教徒の妻を娶ることによって、両親を悩ますようになりました。けれども、エサウはイサクのお気に入りでした。彼の数々の過ちにも関わらず、イサクは彼を祝福することを願ったのです。

 

やがてイサクが年をとり、視力が衰えてよく見えなくなった時、彼はエサウにこういいました。「おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持ってきて私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」(創世記2734) イサクが話している間、リベカはそれを立ち聞きしていました。そして、エサウがイサクの願いをかなえるために出かけると、イサクを欺きエサウの祝福を奪うためのはかりごとをヤコブとはりめぐらしたのです。

 

サタンの策略は、しばしば子供をめぐる家庭の不和をきっかけにします。一人の子供が、他の子供よりも偏愛される時、敵はやってきて混乱と不和をつくりだします。家庭における偏愛は、言葉によって表される必要はありません。簡単に感じることができるものだからです。

 

覚えておいてください。「神はかたよったことをなさらない」(使途の働き1034節)のです。私たちもそうするべきではありません。

 

 

欺きの拡大

 

イサクの家庭において欺きが行われたのは、この時が初めてではありませんでした。裏表のある[9]関係の種は、イサクとリベカが飢饉を避けて食料のあるゲラルに旅した時に蒔かれていました。リベカがあまりに美しかったので、イサクは人が自分を殺してリベカを王のハーレムに入れてしまうのではないかと恐れました。そこでイサクは、リベカが妹だと主張することで、王のアビメレクを欺こうとしました。イサクはこれによって危険を避けることができましたが、逆にリベカを無防備な状態にさらし出してしまったのです!。

 

ある日の午後アビメレクは窓から、イサクがリベカを愛撫しているのを見かけました。王はイサクを責めてこう言いました。「確かに、あの女はあなたの妻だ。なぜあなたは「あれは私の妹です。」と言ったのだ。」(創世記269節) イサクは、敵対者の多い土地で美しい妻と共にいることに対する恐れを告白しました。アビメレクはそれを責め、こう言いました。「なんということをしてくれたのだ。もう少しで、民の一人があなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪を負わせるところだった。」(創世記2610節) 異教徒の王が、神の人の欺き−リベカを危険にさらし、民が罪を侵しかねない状況にしたこと−を責めたのです。

 

イサクが妥協した時、彼は夫として妻を守ることに失敗してしまいました。結果として、彼女は自分で自分の身を守らなければならない状況へと追い込まれてしまいました。夫が、その妻を守られていない危険な状態に置き去りにするとき、妻は自分で自分の身を守るための独立した状態へと追いやられてしまいます。そして、それが家庭に不和をもたらすのです。女性がそれを望むわけではありません。神様はこう宣言されました。「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」(創世記316節)

 

イサクによる欺きと、リベカを危険で無防備な状態に置き去りにしたことが、結果として家庭に不和をもたらすことになりました。リベカがそれを意識していたかどうかは分かりませんが、彼女は用心深くなっていきました。イサクによるエサウを祝福するための計画を立ち聞きした時、彼女はヤコブがその父を欺き、祝福を盗み取るように手助けしました。この時も彼女は自分が無防備であると感じていたのです。彼女はそこに神様の御心を感じ取ってはいましたが、自分の夫の判断を信じることができませんでした。そして夫から独立した行動をとったのです。

 

彼女は実際にはこうヤコブに言ったのです。「行って、エサウの振りをして、祝福を盗んでしまいなさい。」

 

けれどもヤコブは言いました。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私のはだは、なめらかです。もしや、父上が私にさわるなら・・・。」(創世記271112節)

 

リベカは、ヤコブに毛皮をとって腕と首に巻きつけるよう言いました。そうすることで、イサクがヤコブのことを、毛深いエサウであると勘違いするように仕向けたのです。

 

ヤコブは恐れました。「(父上は)私にからかわれたと思われるでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになるでしょう。」(12節)けれどもリベカは譲りませんでした「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただわたしの言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」(13節)

 

ヤコブは、エサウのにおいを身に着けるためにエサウの晴れ着をまとい、毛深く見せかけるために毛皮を首と腕に巻きつけ、イサクのもとに行ってこう言いました。「お父さん。」

 

イサクはこう答えました。「おお、わが子よ。だれだね、おまえは。」(18節)

 

ヤコブは父親にこう言いました。「私は長男のエサウです。私はあなたが言われたとおりにしました。さあ、起きてすわり、私の獲物を召し上がってください。ご自身で私を祝福してくださるために。」(19節)

 

そこでイサクはこう言いました。「近くに寄ってくれ。わが子よ。私は、おまえがほんとうにわが子エサウであるかどうか、おまえにさわってみたい。」

 

ヤコブはイサクに近寄り、イサクは彼にさわって、言いました。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」(22節)

 

そして父親は息子に対して「わが子よ。近寄って私に口付けしてくれ。」と言いました。

 

ヤコブは近寄って、口付けしました。イサクはヤコブがまとっていたエサウの着物のにおいをかぎ、ヤコブを祝福しました。欺きは成功しました。ヤコブは、父の兄への祝福を盗み取ったのです。ほどなくしてエサウはヤコブの欺きを知り、激怒してヤコブを殺そうと考えました。けれどもリベカは素早くヤコブを逃がしたのです。(4344節)

 

ヤコブが家を離れた後、リベカとヤコブが再会したとの記述がないことは重要なポイントです。リベカは「兄さんの憤りがおさまるまで、しばらく家から離れていなさい。」と言ったのですが、ヤコブと家族との別離は20年以上に及ぶものとなりました。ヤコブが後になって家に戻った時、リベカはすでに亡くなっていました。リベカは、子供との交わりと夫からの信頼との両方を、欺きと欺きから来る家庭不和によって失ってしまったのです。

 

罪を選択することは可能でも、罪の結果を選択することは私たちにはできません。神様は、私たちが欺くことを選ばなくても、ご自身の御心を実現させることのできるお方です。イサクとリベカの両方が罪を犯し、非常に重い代価を支払うことになったのです。

 

 

子育てにおける古くからの法則

 

イサクとリベカの物語から学べることがいくつかあります。彼らの始まりはシンデレラ・ストーリーのようでしたが、彼らの終わりはひどいもの[10]でした。とても“そして二人はいつまでも幸せに暮らしました” などと形容できるものでもありませんでした。深い失望と大きな困難に形容される二人の人生は、良い結婚のモデルというよりは、“サバイバル結婚”の例とでも言うべきものでした。二人の関係について学ぶ時、敵が両親をその子供を通して攻撃するということが明らかになります。彼らの結婚生活は、子供たちが二人の間に楔を打ち込むことを通して、困難なものになったのでした。同様のことは、他の夫婦にも起こり得るのです。

 

結婚がずたずたにならないようにする為に応用できる5つの法則をここで挙げてみます。

 

1. 子供に関することで仲違いしないこと

 

しつけが仲違いの理由になることがあります。夫婦のどちらか一方が、もう一方のやり方は厳しすぎるとか、甘すぎるとか考える場合もありますし、しつけの方法について二人が一致しないという場合もあります。子供の年齢に関わらず、親の片方が子供の味方をしてもう片方の親に対抗する時、不和は避けられないものとなります。

 

皆さんの子供が皆さんと一緒にいるのは、ほんの一時にすぎないのだということを覚えておいてください。いつの日か子供が親元を離れる時、残りの時間を一緒に過ごしながら、残骸を拾い集めるのはあなたとあなたの伴侶の仕事になるのです。子供に関する争いによって蒔かれた種は、子供が巣立った後、朝食のテーブルでお互いと向かう時に刈り取られることになるのです。イサクの家族のように、長年にわたる仲違いや、欺き、そして信頼関係の損失などがそこにあった場合、二人の関係はとても苦々しいものとなってしまいます。

 

2. 表向きの一致を常に保つこと

 

子供たちは、家族の絆の最も弱い部分を見つけ出す不思議な能力を持っています。ある分野において、父親の方が緩い基準を持っていれば、子供たちは父親を自分たちの側に引きずり込み、母親に対抗しようとします。母親が甘ければ、母親と組むことで父親に対抗したりもします。子供たちは、自分の要求を通すために親を分裂させることを心得ているのです。子供たちの前で夫と妻がどう振舞うかというのは、こういったことを避ける上でのとても重要な要素です。二人が一致している、ということを子供たちに見せておかないと、子供が利用できるような絆の弱さがさらけ出されてしまうことになります。二人は一致しているのだということを、子供たちに対しては常に見せるようしてください。

 

3. 自分が誰の側につくか、子供たちに選ばせないこと

 

特定の側につくことなく、問題を解決してください。時々子供たちは、他の家族の一員に敵対する際に親を巻き込もうとします。自分の兄弟や片方の親との争いにあなたを巻き込み、味方してもらうために、自分がどれだけひどい目にあったか、あなたに話したりもします。子供の味方をしたいという思いを抑えて、ただ問題を解決することに集中してください。

 

4. 問題の本質に関して、悪魔によって混乱させられてしまわないこと

 

問題の本質が何であるのか、あなたが見えないままでいることをサタンは願っています。[11] 子供の反抗が家庭に混乱をもたらしている、と考える親がいたとします。実際にそこにはさまざまな反抗があるかも知れません。けれども、本質的な問題は反抗そのものではないのです。子供が反抗し、親が子供と言い争う時(そして家庭をコントロール不可能な状態にしてしまう時)、そこには気づかなければならない一つの問題があります。それは、サタンがその家庭を攻撃しているということなのです。

普通の武器をとってサタンと戦うことはできません。「私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、かみの御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」(第二コリント104節)祈った後であれば多くのことを為せます。けれども祈る前は、祈る以外のことは何も出来ないのだということを覚えておいてください。そして、問題について、あなたの伴侶と共に祈ってください。

 

5. 子育てについて意見が衝突する時

 

子供のしつけについて、親の意見が一致しない時はどうすればいいのでしょうか?聖書が基準にならなければいけません。しつけに関しては、その度合い、厳しさ、そしてやり方などについては議論の余地があると思います。けれども最も大切なのは、それは聖書的でなければいけない、ということです。

 

箴言1324節にはこうあります。「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛するものはつとめてこれを懲らしめる。」 子供に向かってノーと言えなかったり、とても愛しているからという理由でしつけをしなかったりする親は、その不安定な親子関係をさらけ出してしまっています。実際のところそういった親は、「子供の気分を害したり、怒らせたりするのは嫌です。」と言っているのです。子供を扱う上での、この“平和的[12]”な手法は、後になって親と子の両方に悪影響を与えるようになります。こういう方法で育てられた子供は、やがて感情的に甘えの残る大人となり、失望と挫折に満ち溢れた社会ではまともに機能することが出来ません。愛をもって子供を早い時期からしつけなければ、後になって社会がそれをやることになります。そしてその結果は、しばしば厳しく破壊的なものとなるのです。

 

親が子育てをきちんと計画することはとても重要です。ルールや取り決めについて、結婚生活の初期に決めておかないカップルは、後になって状況まかせにそういったルールを設定することになります。そして、そういうルールはしばしば分かりにくく、曖昧なものになってしまいやすいのです。しつけというのは、子供が大人になった時にその一貫した行動を通して“実を結ぶ”ようになるための、親による投資なのだ、ということを覚えておいてください。

 

しつけは、曖昧・定義されていない・時々しか行われない、というようなものであってはいけません。良いことと悪いことの違い、親の言うことを聞かないことによる結果などについて、常に一貫性を持って、一致した状態で、そして明瞭にしつけてください。壁に書かれている冷たく厳格な法律をつくる、ということではありません。しつけは、親の心から子供の心へと伝えられる、“法則[13]”なのです。結果としてこれが愛と権威に対する尊敬の心を生むことになります。しつけの際には、それが言葉による注意であっても、意図的な反抗の結果によるスパンキングであったとしても、無条件の愛が伝わるようにもして下さい。

 

 

分かれること・離れること[14]

 

家庭における霊的な戦いを考える際には、義理の家族についても取り扱う必要があります。あなたの義理の家族は、もしかしたらあなたが愛し、尊敬することの出来る人々かもしれませんし、あるいはあなたが仲良くしたくないと思うような人たちかもしれません。それが扱いにくい人であったとしても、また素晴らしい人たちであったとしても、聖書の創世記224節には 「それ(結婚)ゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と書いてあります。私たちは、結婚したら、それぞれの父母から離れるようにと言われているのです。

 

ヤコブとラケル

 

義理の家族との関係については、ヤコブの人生から多くを学び取ることが出来ます。また、そこから別れ、離れること について神様の御言葉から知恵を得ることが出来ます。

 

創世記29章で、ヤコブはラバンの娘のラケルと恋に落ちます。イサクとリベカの話がそうであったように、ここでもロマンス・愛・友情・名誉・約束・尊敬などで表現される関係を読み取ることが出来ます。ラケルへの愛と彼女の父への尊敬の念ゆえに、ヤコブはラバンのもとで7年間の労働をすることでラケルと結婚する権利を得ようとします。ヤコブは正しいことをしたように見えます。義理の家族に尊敬を払うのは良いことですし、尊敬をもって接することで良いところを見せたいとあなたも思うことでしょう。

 

7年たって、ついに結婚の夜がやってきました。ラバンがあらかじめ暗くしてあったテントの部屋へと花嫁を連れて来て、結婚式がとりおこなわれました。けれども翌朝目を覚ましたヤコブは驚きました。花嫁はラケルではなく、ラケルの姉のレアだったのです。

 

ラバンにむかってヤコブは怒鳴りました。「騙したな!ラケルのために7年も働いたのに。ラケルのことを本当に愛しているのに、レアを渡すとは。初夜を過ごした以上、レアと結婚してしまったことになるではないですか!」(性関係をもつことは結婚と同じことだったため、後戻りはできませんでした。ですから、ヤコブは正しいことをしたのです。)

 

ラバンはこう説明しました。「われわれのところでは、長女より先に下の娘をとつがせるようなことはしないのだよ。知らなかったのかね? 年上の方がいつも先に結婚するのだ。知らなかったとは驚きだ。ラケルを本当に望むのなら、もう7年私のところで働きなさい。そうすればあの娘もお前にやろう。」

 

ヤコブは同意しました。そこでラバンは7年の終わりを待つことなしに、すぐにラケルをヤコブに嫁がせました。

 

親には、自然に子供を思いやり、子供が良い環境にいられることを願う性質があります。ラバンの話は、父性というものが、いかに子供の幸せの妨げや邪魔になり得るのか、ということを示しています。親に子供とその伴侶を公平に扱おうという意思がどれだけあったとしても、実際には自分の子供の幸せが(伴侶のそれよりも)優先してしまうものなのです。ラバンが自分の娘たちのために、自分の名や評判、そして正直さについての評価を犠牲にしようとしたことに注目してください。彼は、ヤコブが善良な人間であったのを見て、自分の娘たちのためにヤコブを利用しようとしたのです。この話は極端な例ですが、厳然とした法則がそこにはあります。あなたの義理の両親[15]にとって、その子供は最愛の存在なのです[16]。そしてあなたがその家族の一員になった後も、彼らは常に自分達の息子・娘が幸せであることを願うものなのです。

 

ヤコブは、ラバンとその家族のもとで20年を過ごしました。聖書が教えるように、別れ・離れることを彼は行わなかったのです。ヤコブの状況は通常のものではなかった、と思われるかもしれません。最初のうちはそうだったかも知れませんが、後にヤコブは金銭的な理由からさらに6年をラバンの家族と過ごすことを選んだのです。このことが、ヤコブの家庭で多くの争いを生み出すことになりました。義理の親は、その子供達にとって最良のことを願うものですが、時にはそれが子供たちの生活への介入となってしまいます。意図は崇高で罪のないものだったとしても、しばしばそれはTurns into meddling.

 

ヤコブの家庭の問題は大きなものでした。ヤコブが、レアではなくラケルに愛情を注いだ結果、二人の妻の間に妬みが作り出されました。ついには、ヤコブはその義理の家族に向かってこう言いました。「状況は困難を極めています。私たちがここを去る時が来ました。」 けれども、ラバンの目から見れば、状況はこれ以上を望めないというほど良い物でした。12人の孫に恵まれましたし、義理の息子は働き者でした。そして、結婚した娘たちも家に残ってくれていたので、空き家症候群[17]に悩まされる必要もありませんでした。けれどもヤコブは大変な思いをしていました。彼は去りたいと思い、時が来たということをラバンに伝えたのです。

 

自己中心的な考えから、ラバンは、ヤコブがもう少し長くとどまるように説得しようとしました。そして不信感が互いの間に芽生えるようになりました。When Laban pleads with Jacob to remain a few more years, he agrees. けれども、ヤコブが家を出ようと計画すると、ラバンはヤコブが罪悪感を感じるようにと仕向けるのでした。ラバンは、ヤコブが二人の関係を利用することで富を増そうとしていると非難し、ヤコブは、「私が来る前には、わずかだったのが、ふえて多くなりました。」(創世記3030節)ということをラバンが思い出すようにしたのです。

 

ヤコブの助けによって利益を受けたのは、明らかにラバンの方です。苦々しさと争いとが双方の間で大きくなっていきました。ヤコブは留まりましたが、33節で自身の気持ちを言い表しています。「後になってあなたが、私の報酬を見にこられた時、私の正しさがあなたに証明されますように。」 言い換えるならば、「私はあなたを信頼しません。あなたの土地で私が栄えたときに、あなたは来て私が不正によってあなたから富を得たと言うのでしょう」ということです。

 

時が経つにつれて互いへの疑いは増していきました。創世記311節には、ラバンの息子たちが、ヤコブがラバンの富を取り去ったことを非難したと書かれています。関係さらに酸いものとなり、もはやそれは始まりの時のように友好的なものではありませんでした。ヤコブは盗人だとの評価を、そしてラバンはずるい人間だとの評価をそれぞれつけられたのです。最終的には、ヤコブとその家族は、さよならの挨拶をすることなしに、夜にしのび去るということになってしまいました。

 

彼らがそこを離れる直前に、ラケルは家にあった偶像を盗み出しました。三日後になって、ラバンが偶像の無くなっていることを見つけた時、彼はヤコブを追いかけ彼に盗みの疑いをかけました。言い争いはやがて、戦いが始まるかのようなレベルにまで達しました。「なぜ、あなたは逃げ隠れて私のところをこっそり抜け出し、私に知らせなかったのか。私はタンバリンや竪琴で喜び歌って、あなたを送りだしたろうに。しかもあなたは、私の子どもたちや娘たちに口づけもさせなかった。」(2728節) さらに、ラバンは自分の神々が無くなっていることと、義理の息子がそれらを盗んだのではないかと疑っているということを、ヤコブに告げました(盗まれてしまうような神に仕えるのは悲しいことです!)。そ知らぬふりをしながらラケルは、その偶像を鞍の下に隠し、その上に座りました。ラバンがテントの中を探しに来た時、ラケルは自分が月経中で、鞍の上から動けないのだと嘘をつきました。その結果ラバンは偶像を見つけることが出来ませんでした。

 

機能不全に陥っている家族とはこのことです!彼らは互いに敵意を抱くようになってしまったのです。なぜでしょうか?ヤコブがその義理の家族と20年間も一緒にいたことが、疑いようもなくその大きな理由です。神様はこう仰せられました。「父母から離れ、妻と共になりなさい。そしてふたりは一体となる。」

 

最後にラバンとヤコブは石を積み上げることで契約を交わしました。ラバンはこう言いました。「この石塚は、きょう私とあなたとの間の証拠である。」「われわれが互いに目が届かない所にいるとき、主が私とあなたとの間の見張りをされるように。」(創世記3148-49節)それは美しい記念碑だったでしょうか?とんでもありません!それは不信のあらわれであり、実際のところは 「汚い盗賊め、私がお前を監視できない時、神が私の背中を守ってくださるように。」 と言っているようなものでした。言うまでもなく、不和による別離が互いへの疑いをもひきおこしたのです。神様が良い目的をもってつくられたことを、ヤコブとラバンは「別れ、そして離れ」 なかった故に台無しにしてしまったのです。

 

中心円として知られる関係が、結婚には存在します。中心に丸があり、その周りを別の大きな円が囲っているを想像してください。中心の部分が、その中心円です。その中心円の中で我々は、個人的な問題、お金の問題、子どものしつけ、コミュニケーションの問題、その他の家庭における問題を取り扱います。中心円の中に入ることができるのは、あなたとあなたの伴侶、あなたの子どもたち、そして神様だけです。その他の人は、夫婦の同意の下に招待されなければそこに入ることは出来ません。例えば、私が牧師として夫婦にカウンセリングを行うなら、夫婦両方からの招待が私には必要なのです。私がどちらか片方の声だけを聞いて軽々しくアドバイスを与えるなら、もう片方を私は侵害したことになるのです。ラバンはヤコブの中心円に飛び込み、ヤコブはそれを放置しました。それが長期的な問題を作り出す原因となったのです。

 

 

離れるということが意味すること

 

神様が私たちに離れるように言われる時、その意味するところは、単に両親の家を出て伴侶の家に入るということではありません。離れるということは(それを無視することで、神様の結婚におけるご計画を駄目にしてしまうような)他の要素をも含んでいるのです。

 

財政的に離れる[18]必要

 

生き残る為には、義理の親からの金銭的な援助に頼らざるを得ない、とカップルが感じることが時々あります。けれども原則としては、出費を切り詰める為に苦労することの方が義理の親の財政援助に頼るよりは良いのです。落ち着くまでの間援助を受けるのはとても便利なことかもしれません。しかし、もしかするとそれは、主に頼る代わりに義理の家族に依存するということかも知れないのです。多くの義理の親たちも、新婚当時に困難を経験しなければなりませんでした。けれどもその困難が、全ての若いカップルが必要とする指導力と独立心を養うことになったのです。箴言の1626節はそれをこう言い表しています。「働く者は食欲のために働く。その口が彼を駆り立てるからだ。」

 

ラバンがヤコブの家庭に過大な影響力を持っていたのは、彼が財布のひもを握っていたことが理由でした。言い換えれば、彼は「金を持つものが支配する」 とうい黄金律を実践していたのです。

 

物理的に離れる必要

 

単純に言えば、物理的に離れるとは、義理の親と一つ屋根の下に住まない、ということです。夫が 「お金を貯めて自分たちの家を見つけるまでは、しばらく僕の親と一緒に住もうよ。」 と言っていたカップルにカウンセリングを提供したことが私にはあります。妻はそれに同意し、それから10年が経ちましたが、彼らは未だに両親と同居しています。彼らにはもう子どもがいますが、貯金はなく、夫はマザコンのように行動しており、妻の方は完全な挫折感を味わっています。さらには、母親と祖母とどちらが最終的な権威を持っているかを子どもが判断できないことによる、子育ての危機を彼女は経験しているのです。

 

一つ屋根の下で共に住んでいる普通の親にとって、孫のしつけに干渉したり、夫婦やお金の問題、そして食事の準備にいたるまでの様々な問題に干渉するのはとても簡単なことなのです。そこでは、義理の親はエキスパートであり、新婚のカップルは見習いです。何事においてもエキスパートが、見習いの前でやって見せるようになるのが当たり前になってしまいます。

 

ある問題について、一組のカップルから相談を持ちかけられたことがあります。この夫婦は、夫側の両親と同居していました。彼はサーファーで、残念ながら仕事よりも波乗りの方が好きな人間でした。ですから、二人が両親から独立するだけの十分なお金をためることは、今までずっと無理なままでした。けれども見方を変えるなら、親が面倒を見てくれているのですから、彼が頑張って独立を目指す理由などそれほどなかったのです。一方で彼の妻は、その状況にいらいらを募らせるようになりました。彼女の姑は、孫のしつけや育て方に関して、口出しをせずにはいられない人でした。子育てについて嫁と姑が争うようになるのは当然の成り行きでした。憤慨した嫁の方は、最後には荷物をまとめ、子供たちをつれて夫のもとを去っていきました。そうなるずっと前から私たちは、親から別離しないことの結果について、彼らに警告を発していました。彼は危険を示すサインを無視し続け、結婚生活をだいなしにしてしまったのです。自分のやるべきことを親任せにせず、自分で自分の必要を満たす責任を彼は果たそうとしませんでした。結果として彼は、彼の妻と子供たちを失ってしまったのです。

 

霊的に離れる必要

 

全てのカップルが、彼ら自身でキリストを内に持つ必要があります。自分たちの霊的な歩みは、自分たちで歩まねばなりません。その結果、両親とは異なる方向に進む必要が生じるかもしれません。もし霊的に成熟した家庭をお持ちなのなら、それは大きな強みです。けれども親のほうで、(感傷的な理由から)同じ教会・牧師・信者の交わりに属することなどを、結婚したばかりの自分の子供に押し付けるべきではありません。子供たちが、自分自身で霊的な決定を下していくのは健全かつ必要とされることなのです。もしあなたが、活気があり、しっかりと聖書を教えている教会に属しているのなら、結婚した子供たちもそこに属するようになるかもしれません。もしそうでないなら、子供たちが自分たちで、主にあって成長していける場所を見つけるのは良いことなのです。

 

感情的に離れる必要

 

家庭の絆が強く、幼少時から家族との感情的な結びつきを植え付けられて育った人がいます。こういった人の場合、結婚における不和が生じた時に、親子間の強い絆に頼ってしまわないように注意する必要があります。「私の伴侶に話すのは大変だから、お父さんとお母さんが何て言うか聞いてみよう。」 罪のない発言に聞こえるかもしれませんが、これが習慣になってしまうと、夫婦の間で真の絆が育まれなくなってしまい、問題を自分たちで解決する能力も身につきません。一度結婚したなら、自分の感情的なサポートを親から自分の伴侶に向けなおす必要があるのです。親の知恵は大きな助けになるかもしれません。けれども、あなたの感情的な安定があなたの両親から来るものであるのなら、それをあなたの伴侶から得るようにしなければなりません。

 

 

あなたの両親と義理の両親とを結びつけること

 

ここに挙げるのは、結婚したら覚えておくべき、義理の両親と自分の両親とに関するいくつかの原則です。

 

両親や義理の両親が、あなたの伴侶を批判することを決して許さないこと

 

過去に、私の母が私の妻を好きではないという時期がありました。これは多くの母親に当てはまるケースだと思います。彼女たちは、息子はあまりにも完璧だから、息子にふさわしい女性などいるはずがないと考えてしまうのです。私の母は、よくダニータの過ちや弱い部分を意地悪な言い方であげつらったりしました。クリスチャンになる前は、私は母が言うままにしておき、多くの場合はそれに同意したりしていました。ダニータは侮蔑と自衛の必要を感じるようになりました。クリスチャンになった後、私はサタンのずる賢い戦略に気づくようになりました。母が指摘したダニータの弱みは、理に適ったものだったかもしれません。けれども、その結果は家庭内にあってとても破壊的なものでした。

 

幼い信者ながら、私は神様が私を家庭における司祭・供給者・保護者として造られたのだということを知るようになりました。誰にも−たとえそれが身内であっても−私の妻を批判することを許すべきではないという事実に対して、私の目は開かれました。ですから、再度私の母がダニータについて話し出したとき、私は「お母さん、もう僕のお嫁さんに対する批判は二度と聞きたくないよ。分裂を起こす原因になるし、神様が私に聞くように望んでおられることではないから。だから、もう二度とやらないで。」 と言いました。

 

子供は父母を敬わなければならないと信じている私には、母を叱責するのは難しいことでした。けれども、私の世俗的な生き方が、そういった批判が出てくることを許す原因になっていたのだとすれば、クリスチャンになったのですからそれに対処するべきでした。結果的によかったのは、それを通して私の母と妻との関係が新しくされたことでした。時がたつにつれて、母はダニータを親友のように感じるということを明かしてくれるようになりました。母の批判をそのままにしておいたなら、今日あるような母と私の妻との友好関係は、決して築かれることはなかったとのです。

 

両親・義理の両親が、あなたがそうする前に、あなたの家庭に関する決定を下すことを決して許さないこと

 

中心円の内側における意思決定は、あなたとあなたの伴侶、そして主とが一緒になって決められねばなりません。カップルの同意があるならば、義理の両親からのアドバイスを受けることはできますが、両親の決定が押し付けられるようなことがあってはなりません。

 

あなたの子供についてあなたが下した決定を、両親が覆してしまわないようにすること

 

子供に関する問題は、しつけ、食生活、権利、スケジュール、テレビなど多岐にわたります。

 

結婚に関するミニストリーを行っている友人が私にはいるのですが、彼らが最初の子供をもうけた後で子供の祖父母の家に行った時のことを話してくれたことがあります。子供が悪さをしたので、父親は「行儀よくしないとお尻をぶたれることになるよ。」と言いました。けれどもそこで、祖父の方が子供を抱き上げてこう言ったのです。「私の孫をぶつなんていうことは、私の家ではゆるさんぞ!」 父親は行って、祖父の腕から子供を奪い取りこう言い返しました。「そういうことだったら、お父さんの孫はもうここには来ません。」

 

これらの会話がなされている間、女性の二人は台所で針のむしろに座っているかのような状態を経験していました。その後、父親が妻を呼び、「行こう。もう帰るよ。」と言いました。そして彼らはそこから離れたのです。それはとても悲しい状況でした。

 

クリスチャンの父親は、彼の中心円が侵害されたと感じ、それを守る為の決定を下さなければならないと思ったのでした。彼はこう考えました。「ここで立ち上がらなければ、私の義理の親が、私や妻が下した決定を無視し始めて、私の家を支配するようになるかもしれない。」 幸い、祖父の方は一時間ほどあとに電話をしてきて、謝罪しました。今までになく良い形へと彼らの関係は修復されたのです。

 

ご両親や、義理の両親との時間を楽しんでください。けれども、引かなければいけない線がそこにはある、ということも知っておいてください。あなたとあなたの伴侶、子供たち、そして主が一つの独立した[19]家族を構成しているのです。親が知恵やアドバイスを提供するのは構わないことですが、それが子供夫婦の上に強要されるようなことがあってはいけません。

 

 

あなたの友達 − 陰口の危険性

 

「陰口をたたくものは親しい友を離れさせる。」 箴言1628

 

友人が人の結婚生活を割ってしまうことがあります。良い意図がそこにはあるのかも知れませんが、、話すべきでないことを話すことによって、不一致の種を彼らは蒔くのです。友があなたの伴侶について悪く言うことを決して許さないでください。私たち皆が、時々は失敗を犯すものですが、あなたの伴侶の悪口を言うことによってあなたを慰めようとする友がいたとしたら、その人が実際に行っているのは関係を癒すことではなくて、さらなる分離を引き起こすことなのです。

 

箴言の179節にはこうあります。「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求めるもの。同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる。」 結婚生活において問題が生じる時、友は批判を繰り広げることによって、問題の修復を助けるのではなく、妨げてしまうことがあるのです。良い意図を持ってはいるけれども、霊的に未成熟な友は、あなたと一緒になってあなたの伴侶に敵対することによって、二人の間の裂け目がふさがるのを妨げてることになるのです。あなたの伴侶に対する悪感情をさらにかきたてるような友は、おせっかいで無分別であると言えるでしょう。

 

悪魔の計画に対して賢くあってください。敵は非常に巧妙なのです。友があなたが伴侶について批判的になるような原因をつくりだし、あなたをその友のもとに引き寄せようとするときには、注意を払ってください。もしかしたら、そのカウンセラー気取りの友人には未解決のまま残されている、人間関係上の問題があるのかもしれません。もしかしたら、あなたもその友人も気づかないままに、同類相憐れむ ような状態を作り出しているのかもしれません。あなたが、あなたの伴侶についての友の悪口に耳を貸すとき、あなたは非常に危険な状態にあるのです。そういったことが起こらないようにしてください。あるいは、その友に昔起こったことが、今のあなたにも起こっているのかもしれません。そして、その友はあなたの伴侶の問題について、非常に的確な指摘をすることが出来たかもしれません。けれども、こう言ってください。「我々のために祈ってください。主が我々の人生の中にはたらいてくださる必要があるのです。」 主を信じる必要があるのです。そうしなければ、よき友を装った悪魔がやってきてさらなる分裂を引き起こすことを目にすることになるでしょう。

 

 

陰口を押さえ込む方法

 

結婚しているカップルが、友人を取り扱う上で実際的だと思われるいくつかのステップを見てみましょう。

 

単独で異性との交友関係を持たないこと

 

結婚の外で異性と友人関係を新たに持つ理由はどこにもありません。また、結婚前にすでに構築されていたあなたと異性との交友関係に、あなたの伴侶を結婚後に参加させない理由もありません。この原則をカップルたちに今まで教えてきましたし、それを無視したカップルが支払うことになった代価も私は見てきました。今は離婚してしまった一組の夫婦について述べてみます。

 

夫の方は、ハワイでも有名なレストランのウェイターでした。妻の方は、レストランで彼にちょっかいを出しては興味を引こうとする女性たちのことについて不満を漏らしていました。彼の方ではそれを歓迎するようなそぶりもあったのですが。彼女がレストランにいる時でさえ、彼女は後ろの方で静かに立って、彼を待たなければ為りませんでした。けれども彼は、彼女を他の女性たちに紹介したりするようなことはしませんでした。

 

「それは危険だよ。」 と私は彼らに言いました。「彼は、あなた(妻)を他人に紹介する必要があるでしょう。彼が他の女性を知っていて、それが彼の友人なのなら、彼はあなたを連れて行って “ところで、この人が僕のお嫁さんなんだ。”というべきですよ。」 そうすることによって、異性の友達たちはすぐに、二人が愛し合っていて、結婚していて、一体であるということを知ることができるのです。

 

中心円に、親しい友達を入れてしまわないこと

 

親や、義理の親との関係について先ほど述べたように、あなたの中心円からは、友達をも遠ざけておく必要があります。

 

あなたの伴侶の悪口に加わらないこと

 

悪魔のやり方に対して、賢明である必要があります。自分の伴侶に関する批判に耳を貸したり参加したりするのは、夫婦間の関係をもっとも素早く蝕む原因となります。誤った方向に向いている友は、あなたを建て上げて祈る代わりに、あなたの伴侶の間違いを指摘することで、あなたを慰め助けようとするのです。それに同意してあなたの伴侶を悪し様に言うのは、問題の解決には何の役にもたたないばかりか、逆にそれを悪化させることになります。

 

私たち皆が家族や友、そして親族と共に最大限楽しい時間を過ごしたいと願うものです。けれども、それが結婚における調和を犠牲としてしまうようなものであってはいけません。私たちに最も近しい人たちは、私たちの感情や心の琴線をもてあそぶ事もできるのです。彼らはそれを知ってはいないかもしれません。けれども、知っている可能性だってあるのです。敵のやり方を知っておく必要があります。敵は良いはずのものを使って、悪事を行います。イサクとリベカのように、子供たちが夫婦の関係に楔を打ち込むようなことを許してはいけません。そして、ラバンとヤコブのように義理の親からの助けが、助けどころが頭痛の種になってしまう、というようなことも避けなければなりません。子供は家をいつか出て行きますし、友は去っていきます。あなたの伴侶だけがあなたと共に残り続けるのです。人生を共に過ごす伴侶の喜びを一番とし、そのために私たちの身の回りに起こる問題や、他の人々との関係とを注意して取り扱うようにしてください。

 

 

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[1] Unwitting tools of the enemy”

[2] Getting too much of a good thing”

[3] It is the story of Isaac and Rebekah, a tale of divine guidance and enchantment.

[4] Confirmation

[5] They gave her the choice of going with him or not.

[6] Isaac had gone into the field to mediate.

[7] Romance to Rug-Rats

[8] “Sibling rivalry”

[9] Duplicity

[10] Train Wreck

[11] Satan seeks to confuse the issue.

[12] Non-offensive

[13] Principles

[14] Leaving and Cleaving

[15] In-laws

[16] Your in-laws have their child in the deepest part of their heart.

[17] Empty nest syndrome

[18] Leave

[19] Unique